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【信長を救う】元綱は1567年に足利義昭が三好三人衆に本國寺で襲われた時に急いで駆けつけ防衛に回り、後から駆けつけた織田信長らと共に撃退に成功している。この功で義昭から吉光の刀を授かった。
大坂冬の陣では子の宣綱と共に永井直勝に属して従軍する。夏の陣では暗峠(大阪府東大阪市と奈良県生駒市との境にある、生駒山地の峠。近世、暗越奈良街道の交通の要地)を守備した。この際、宣綱は「ここを守っていれば敵に会うことはないだろう」と従者わずか2〜3人連れて家康の本陣へ向かっている。1616年に剃髪して牧斎と号し、隠居料3240石を与えられた(というか9590石から分与しただけ)。1632年8月29日死亡。法名・福峯米徳長久庵。
管理人・・・状況が常に不安定な場所で何代にも渡って土地を守ってきただけあって、元綱の世の中の情勢に対する嗅覚は並じゃあなかったと思います。そういうものがなければあっという間に滅亡していたことでしょう。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・戦国大名諸家譜・近江人物誌 UPDATE 2005年2月1日Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
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