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1608年に長近が亡くなると飛騨高山3万8千石を継いだ。1609年に京都の方広寺大仏殿再興造営奉行に任ぜられる。1611年、常陸下妻に鷹場を与えられた。大坂夏の陣で岸和田城を守る。その際、樫井の戦いで敗北し撤退する豊臣軍を追撃し功があった。1615年6月3日、伏見で急死する。法名・徳應院殿雲峰閑公大居士。京都市北区紫野の大徳寺龍源院に葬られた。
管理人・・・茶道に通じ千利休の長男・道安の弟子となっています。その腕前は一流で、徳川秀忠の茶道の師範を務め、茶器の目利きに関しては功者と呼ばれるほどだったそうです。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・岐阜県郷土偉人伝・茶道人名辞典 UPDATE 2005年10月26日Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
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