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1616年、直政が越前国内で1万石を与えられると、富次も250石に加増される。1631年に直政に後の二代藩主・綱隆が生まれると、幼名をつけるように命じられ久松と名づける。直政が出雲松江に移封された際に御礼の使者として江戸で家光と謁見した。その後も順調に加増され、最終的に3770石の領主となる。1658年に高齢のために隠居を申し出る。しかし 「出雲のことは富次にかかっている」 そう直政に諭され却下された。1660年7月24日死亡。松江市の順光寺に葬られる。
管理人・・・富次の母は熱心な一向宗徒で、大坂の陣の時に予算のない直政家のために西本願寺から2千両もの大金を調達しています。 参考文献:三百藩家臣人名事典・続 山陰の武将・島根県歴史人物事典
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