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1600年の関ヶ原の戦いで伊達政宗の策略により領内の和賀・稗貫地方で一揆が起こり花巻城が攻撃された際、出陣中だった信景は兵50を率いて戻り、他に戻った部隊と共に一揆勢を撃退させた。この功で南部利直に賞され諱を賜り直吉と改める。
【不和】白根山に金脈を発見したことにより1602年に奉行に任ぜられ、その後さらに金脈を発見し南部家に莫大な利益をもたらした。1612年、信景の10歳過ぎの息子・十蔵が利直に罪人を斬るように命じられたが返り討ちにあい死亡する。これに怒った信景は剃髪して部屋に篭って役職を放棄したため利直から謹慎を命じられた。
陣後、大坂城を脱出して伊勢に逃げたが捕えられ盛岡に送られて新山川原で処刑された。処刑は残虐なもので手足の指一本ずつ切り落とされ最後には利直自らが弓でとどめを刺し首は鷹に晒される。これにより南部家の重臣・北家は断絶した。
管理人・・・信景は名将で勇気があり弓・鉄砲の達人で智謀も優れていたといわれています。そんな彼を思慮の無さで失った利直は何を考えていたのか。10歳ちょっとの子に罪人を討たせようっていうのに無理があるような気がします。何か深い思惑があったのかもしれないですが。 Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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