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頼水の父・頼忠は宗家である頼重の従兄弟で大祝の職を継いでいたが、1582年に武田家が滅んですぐに本能寺の変が起き、信濃が真空地帯となったの見て蜂起し、茶臼山城(高島城)の代官・弓削重蔵を襲い城を奪還した。その時、火事場泥棒に来た徳川軍と対立する形になったが、12月に和睦する。
【諏訪氏を継ぐ】頼水は僅か6歳で大祝を継ぎ、1590年の小田原征伐では父と共に出陣。徳川家が関東に移封になると、諏訪家は一緒に武蔵の奈良梨・羽生・蛭川1万2千石に移封となった(後に上野総社に移封)。関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従軍し旧領・信濃や上野の守備に当たった。
管理人・・・頼水にはこんな話があります。ある日、諏訪家の菩提寺・永明寺に罪人が逃げ込みました。そこで僧侶が引き渡さないので寺を焼いて罪人を捕まえて首をはねたそうです。その後、頼岳寺を建てて寺の物をそっちに移したそうです。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版、ほか UPDATE 2002年8月19日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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