≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|
1590年の小田原征伐では大道寺一族と共に川越城を守ったが、主君の後北条氏が降伏したため領地を追われ駿河に移り住む。のちに徳川義直のところで居候となった。1614年の大坂冬の陣で、津軽信牧と会った際、築城家と知った信牧と義直の間に召抱えの約束が交わされる。 1616年3月、約束通り津軽家に500石で召抱えられ家老となった。1622年に亀ヶ岡に築城しようとしたが一国一城令のため中止となった。この頃に津軽直秀(福島正則の孫)を娘の婿に迎えて嫡子とする。後に1千石に加増され、1642年8月23日に死亡。月窓山栄源院貞昌寺に葬られた。
その直秀は福島家再興運動のため江戸に行こうとしたところで急死しています。一説には直秀の母が津軽氏に迷惑がかからないようにするため毒を盛ったとの噂があります。 直英ですが、津軽家が譜代と新参に分かれて『船橋騒動』というのが起こしましたが、それを見事に解決しています。 UPDATE 2004年3月24日 Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|