大熊信次

(おおくまのぶつぐ)
生没年:?〜1649年
身分:直江家の家臣
官位(通称、号):伝兵衛

蒲生氏郷の像
滋賀県蒲生郡日野町にある旧主・蒲生氏郷の像
 大熊左門の息子。左門は蒲生氏郷に仕えていたが改易になったため、信次は上杉景勝の家臣・直江兼続に仕え近習となった。大坂の両陣に従軍する。
 信次は兼続の養子だった本多政重に鉄砲術を習い、その後播磨に行き稲富流砲術の奥義を極め帰国した。その功もあってか加増されて200石となり、数々の鉄砲関係の職を歴任した後、大筒鉄砲組頭になり400石となる。1649年2月死亡。

管理人・・・その後、大熊家はいろいろな鉄砲関係の職を勤めています。

参考文献三百藩家臣人名事典

戦国武将の意外な関係

UPDATE 2003年12月23日
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