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1582年の本能寺の変で信忠が自害すると、美濃の諸将と共に岐阜城主・織田信孝に抵抗し、太郎丸城を攻めてきた信孝軍を撃退している。その後、和解して信孝に属したが、1583年の賤ケ岳の戦いで信孝が豊臣秀吉に強要されて自害すると、加賀大聖寺城主・溝口秀勝を頼った。1585年に山内一豊が近江長浜2万石の城主となると、重良は彼に招かれる。
大坂の陣では山内家全軍の指揮官を務める。安芸広島城主・福島正則が改易される際に兵を率いて広島に行き有事に備えた。広島からの帰国後、主君の忠義に隠居を申し出たが許可されなかったため、和泉堺に退去する。1630年に隠居し、家督を養子・重昌(忠義の弟)に譲る。1632年死亡。高知県幡多郡黒潮町有井川字橋本の清源寺に葬られた。 管理人・・・1585年に一豊に招かれた理由がよく分かりませんが、おそらく織田家中で知り合いだったのでしょう。 参考文献:高知県人名事典 UPDATE 2006年9月7日Copyright (C) 2006 Tikugogawa. |
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