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火刑
治胤が捕まったことを知った堺の町人達は奉行所に 「堺の地は仏法や神道が繁盛してたくさんの寺社仏閣があったが、この春に治胤が火を放ったため、すべてが灰燼に帰した。治胤は仏や神の敵の長だから平重衡(平清盛の子。1180年源頼政らを宇治に倒し、南都の東大寺・興福寺を焼く。一ノ谷の戦いで敗れ、捕らえられて鎌倉に送られたが、南都の衆徒の要求で奈良に送還、木津川で斬首された)の例に準じて我々が受け取り、罪科を言い渡したい」 と、しきりに希望したのでその通りになった。(『難波戦記』) 管理人・・・このあと、治胤は有名な火あぶりの刑にされています。実際に堺市に行くといたるところの寺社の案内板に『大坂夏の陣で兵火にあって焼けた』と書いてあり、かなり手酷く焼き討ちしたことが分かります。 Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
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