本多忠朝が徳川家康に良く思われなくなったのは次のような理由からである。駿府城で火災があった後、忠朝がきれいなに仕立てた蝋燭千梃を献上した。 「見事な蝋燭だ。灯してみろ」 家康が近習達に火をつけさせたところ、光量が乏しく蝋燭としては性能の良いものではなかった。機嫌を損ねた家康は 「たとえ千梃を百梃に減らしても、光量を調べることこそ心がこもっているというものだ。この蝋燭はまるで忠朝の容姿のように上辺ばかりを飾り立てているだけだ」 と酷評したという。(『関根織部物語』)
管理人・・・これに似た話しが『難波戦記』にもあり、そちらもここに載せているので良かったら読み比べてみてください。