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秀康、秀頼をかばう
「私にはどうして御家を譲られず、秀忠へ譲れらたのでしょうか」 「その方は太閤の養子にしたので譲ることはできぬ」 「ではなぜ養子に出したのですか」 「それは太閤がその方を望んだからだ」 「太閤の望みで出したということは秀頼とは兄弟ということでしょうか」 「いかにも秀頼とその方は兄弟だ」 家康の返答を聞いたのち、秀康は「私は秀頼と兄弟なので、明日にも秀頼を殺そうと謀る者があれば大坂に行き秀頼と共に死ぬ」と常々口にするようになった。しかし1607年に病状が悪化し「私が命があるうちは秀頼を殺させるかと思っていたが、命が終わるなら秀頼の滅亡も遠くはないだろう」と言い残し亡くなってしまった。 これを家康が風の噂で聞いていたため、大坂の陣では秀康の息子・松平忠直を疑っていたが、大坂落城の時に忠直が真っ先に攻め込んだのを見て、嬉しそうに「孫もよくやった」と褒めている。(『兵家茶話』)
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