≫
四方山話≫
【逸話の紹介】→
次の話
|
正信の懸念
そこで家康は密かに正信を呼び出し尋ねた。 「今日はみんなが酒を賜って万歳と賀しているところに、徳川譜代腹心の家臣のお前がどうして喜んでいないのだ」 正信は遠慮しながら答えた。 「お尋ねがなくても言上しようと思っていたところなので、はばからず仔細を申し上げます。よくよくこの世のありさまを考えるに、君の徳を慕って諸人はことごとく付き従っており、めでたいことでございます。しかし悪竜が側に潜んでいます」 「私はいまや天下の諸侯を下知することが出来る。この上、何の憂いがあるだろうか」 「これは誠に言いにくいことですが、主君のためにあえて申し上げます。それは大坂におられる豊臣秀頼卿です。その理由は豊臣秀吉公の嫡流なので諸人の尊敬は大変なものです。太閤恩顧の諸侯は今すぐにでも秀頼公の希望があれば10人の内6人は大坂に荷担するでしょう。しかし我主君に勢いがある時はなかなか敵対はできないと思います。しかし時が流れれば諸侯の心が国内に再び争乱が起きることは必定でしょう。古の諺にも『両葉にして断たざれば必ず斧を用いる(木は芽のうちに取り除かないと、後で斧を使わなければならなくなる。転じて、禍(わざわい)は大きくならないうちに除かないと、後の処置が困難になる。引用:くろご式 慣用句辞典)』とあります。大坂が勢いを失っている内に御征伐されて、天下が安全になった後にめでたい御酒を頂戴します」
それからも正信はそのことを何度も言ったが家康は取り上げず叱り付けた。ある時などは結城秀康がそれを聞いて「私は小牧・長久手の戦いの後、秀吉の養子となった。ということは秀頼と私は義兄弟だ。もし秀頼に罪がないのに滅ぼそうとしたら、いつでも秀康は弟の加勢をして大坂の城に篭って大軍を引き受け花のような一戦をしてみせる。平和な時代に合戦を望む輩は世を乱す奸賊なので、すなわち天下の敵となる。そのような振る舞いをしようと企む者があれば、すぐに秀康に告げよ。首を斬って晒してくれる」と正信を睨みつけ太刀の柄が砕けるほどに握った。そのため正信はほうほうの体でその場から立ち去った。 しかし1607年に秀康が亡くなると正信は再び大坂城を攻めるように意見し始めた。最初は叱っていた家康だったが次第に豊臣家討伐に心が傾き、正信の意見を聞こうという気になった。そこで正信は、大坂城の金銀財宝や味噌米、矢玉を減少させる策を家康に提案したという。(『慶長摂戦記』) Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
≫
四方山話≫
【逸話の紹介】→
次の話
|