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又兵衛、広島を去る
そこで昔、仲の良かった福島正則の老臣の尾関石見・福島丹波・長尾隼人を頼って安芸広島に行った。広島に着いた基次は老臣達と会談した後、宿に泊まって成り行きを見守っていた。その頃、老臣達は正則に訴え出て諌めていた。 「今度の黒田家・細川家の騒動は基次から出たものです。召抱えるのは控えた方がいいと思います」
しかし騒気(争いを好む気質?)の正則は納得しなかった。
「主人はあなたの武功に感ぜられ奉公されれば3万石にて召抱えるということです。主人が言うには『黒田家と同じく3万石ならば基次にも不足はないだろう。奉公して忠勤に励め』とのことです」 基次は機嫌が悪くなり「福島家の家風なら千石や二千石、あるいは200石でも奉公する。しかし黒田家で3万石だったから福島家でも3万石となっては、私の武功はそのくらいだと決まったようなものだ。福島家で何かしようという望みがない」と答えた。老臣達は示し合わせたことなので内心は喜んでいたが、気の毒そうな顔をしてもう一度進めたが基次は受けなかった。 これを知った正則は誤解し怒り出した。 「譜代を越える大禄をもって召抱えようとしているのに、基次は武功に奢る曲者だ。放っておけ」
召し抱えの話は無くなったが、基次が老臣達の勧めで広島に逗留していると、福島家の若者達が福島丹波のところに来て尋ねた。
「その時のことは覚えている。しかしそれはあなたのひがみだ。石見殿は私の指図を受ける立場ではないし、またその逆もありえない。山陰に敵兵が見えたので、あなたの部下だと知って言ったのだ。他人の功を奪う私ではない。いかに私が浪々の身だからと言って事実無根のことを言われて、よくそのようにむごく責められるものだ。あなたこそ卑怯未練だ」 基次が笑ったため、石見も共に笑ってその場は終わった。 さて基次が帰った後に老臣達が若侍達に言うには「基次の器量を見たか。今、浪人の身なので追従をするべきなのに石見の言ったことを咎めた。3万石を与えられるのに不足ない器量の証だ」と誉めた。
そこで正則は黒田長政に恥をかかせようと思って長政から受け取った悪筆の書簡を取り出し「黒田家は大禄にも似合わず字の上手な者がいない」と冷笑して見せると、基次は「黒田家は家臣が多いので字が上手い人間も多い。しかし送り先の主人の字が下手ならそれに合わせて送り、字が上手なら綺麗な字で送るのが家風です」と逆に正則を辱めた。 そのように何事にも差し支えがある智謀だったため、うまくいかず基次は広島を立ち去っている。(『慶長摂戦記』) 管理人・・・本文では本筋とずれるため書きませんでしたが、又兵衛は細川家から出る際にお金をもらって京都に行っています。しかし僧侶や公家さん、町人ばかりで居心地が良くないため、大坂から舟で広島に行っています。私はずっと小倉から広島に行ったものだと思っていましたがそうではなくていったん京都に行ってからだったんですね。 Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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