●清光山江東寺
住所:長崎県島原市中堀町42
駐車場:なし。周囲の道も狭く車で近寄るのは危険
曹洞宗。本尊は釈迦如来。永緑元年(1558)、有馬義純が日野江城南東の南島原市の田平地区に神竜山江月寺を創建したのが始まりである。開山は宣安明言(義純の法名、もしくは義純の子)と伝わる。
慶長19年(1614)、有馬氏が宮崎県延岡市に移封され、松倉重政が日野江城に入城。のちに島原城を築城すると、江月寺は今村(島原市新山)に移され、寛永元年(1624)に重政が菩提寺と定め江東寺と改称する。
寛政4年(1792)に起きた島原大変(島原半島で発生した火山災害)では伽藍、墓地、記録類が流失や埋没の被害を受けた。文政7年(1824)年、)説外実言により現在地に再建されている。
寺宝に隠元筆扁額「獅子吼」一面などがある。
(墓地の一角に建つ松倉重政の墓。向かって右にあるのは最初の重政の墓で、中央は文政11年(1828)に再建したものである)

(重政の墓の隣に建つ板倉重昌の墓。重昌は島原の乱の際に幕府の上使だったが、全軍の総攻撃を行い陣頭に立ち指揮している最中、胸に銃弾を浴び戦死している。向かって右にあるのは最初の重昌の墓で、中央は文化5年(1822)に再建したものである。重政、重昌の最初の墓は共に島原大変による津波で流失して、のちに発見された)

(大涅槃像。文政11年(1828)、寺の再建を祝って貞寿尼僧が涅槃図を製作した。それに因んで昭和32年(1957)、板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために建立された。横が8メートルの鉄筋コンクリート造りという巨大なものである)

(古い溺死者無縁塔があった(廿が上に二つで下に林は「無」の旧字体)。これも島原大変の時のものだろう)

(境内近くの商店街の一角にある流死供養塔。島原大変の津波で亡くなった人達を弔う供養塔である。2027年頃には道の拡張工事に伴い移転されるらしい)

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、島原市公式サイト、長崎新聞2025年4月30日号
感想:西(境内の裏側)以外の道が全て狭いため、近くの有料駐車場に駐めて歩いていくことを強くお勧めします。








