隠岐神社(後鳥羽上皇を祀る神社)

●隠岐神社
住所:島根県隠岐郡海士町海士1784(字 吉田)
駐車場:あり

 祭神は後鳥羽天皇。承久3(1221)年、承久の乱に敗れた後鳥羽天皇は隠岐郡海士町に流され、源福寺を在所とし、延応元(1239)年に京都に戻ることなく同地で崩御された。源福寺の裏山で火葬された後、遺骨の一部は京都に埋葬されたが、大部分は源福寺の一角に葬られる。
 近世初期までは御陵に片石を置いて標識としていたが、慶長14(1609)年に隠岐に配流されていた飛鳥井雅賢が修復した。万治元(1658)年には初代松江藩主である松平直政が霊廟を造営し、享保20(1735)年に松江藩の六代藩主の松平宗衍(茶人大名の不昧の父)が再建する。しかし、次第に顧みられることがなくなり、近世後期には霊廟が傷み始めた。文政2(1819)年、後鳥羽天皇の世話をしていた村上氏の子孫が私費を投じ、源福寺の住職と共に祠殿を造営した。
 明治6(1873)年、後鳥羽天皇の御霊は大阪府の水無瀬神宮に遷され、明治7(1874)年には隠岐を管轄していた鳥取県によって祠殿が取り壊される。その後も御陵や源福寺跡(※1)において、村上氏や住民が祭祀などを行い、護り続けた。昭和10(1935)年、住民を含む島根県民の要望により、島根県知事を会長とする隠岐神社造営奉賛会が組織され、昭和14(1939)年に隠岐神社が創建される。
 令和3(2021)年は後鳥羽天皇が海士に移られて800年という節目にあたり、記念事業が催された。
※1 源福寺は明治2(1869)年の廃仏毀釈で廃寺となり、のちに別の場所に再建されている

(鳥居)
鳥居

鳥居

(土俵)
土俵

(参道)
参道

(歌碑)
歌碑

(神門)
神門

神門

(拝殿)
拝殿

(県指定文化財で社宝の太刀銘来国光について由緒が刻んである碑)
由緒が刻んである碑

(源福寺の歴代住職の墓)
歴代住職の墓

(後鳥羽天皇御火葬塚)
火葬塚

(後鳥羽天皇御在所跡)
御在所跡

参考文献:島根県神社概説、海士町史、隠岐海士の素顔3版、島根県の地名、現地の案内板、大日本史料データベース、隠岐の島旅

感想:「飛鳥井雅賢が修復した」というのが具体的に何をしたのか参考文献には記載がなかったのです。
 その雅賢が隠岐に流されたのが参考文献では全て慶長13年になっていましたが、配流の原因である猪熊事件が慶長14年だったので、そちらに合わせました。