安部信盛
(あべのぶもり)
生没年:1584~1673年/ 身分:武蔵岡部5200石の領主/ 官位(通称、号):?
天皇の住まいだった京都御所
【岡部の殿様】徳川家康の家臣・安部信勝の長男として遠江に生まれる。祖父の元真は今川氏に仕えていたが、主家の衰退で徳川家に主君を変えた。1600年に信勝が亡くなったため信盛が武蔵と下野国内の5200石の領地と家督を継ぐ。同年の会津征伐では本多正信に属し下野の小山まで出陣した。1605年に徳川秀忠の上洛に従う。大坂の両陣に従軍し、1616年に御徒頭となった。
【点在する領地】1619年の秀忠の上洛に再び従い、この際に摂津守に任ぜられる。翌年の1620年の秀忠の娘・和子の入内(じゅだい、皇后・中宮・女御となる女性が正式に宮中に入ること)に参列した。1636年に三河八名郡内で4千石を加増され9200石の領主となる。
1649年に大坂定番となり、同時に摂津国内で1万石を加増され19200石の大名となった。1673年11月27日死亡。法名・竜徳院妙法性都。埼玉県深谷市の千手寺に葬られた。
管理人・・・江戸時代の統治の仕方はよく知らないですが、領地が武蔵・下野・三河・摂津と散らばっていたら、代官を置いていたとしても大変だったのではないでしょうか。ちなみに本拠地は上記の通り、武蔵榛沢郡岡部に築いた陣屋です。
UPDATE 2004年6月27日Copyright (C) 2004 Tikugonokami.