憂いが無くなる(前田利長、徳川家康)

 1614年5月20日、前田利長が亡くなった。徳川家康本多政重からそれを聞いた時、碁を打っていたが「さてさて気の毒なことだ」とつぶやくとそのまま奥に入っていった。
 その翌月から家康は片桐且元を呼んで大坂への三ヶ条を突きつけ徳川家は国替えを希望した。且元は淀殿の江戸への下向がいいと考えたが、豊臣家はそれを受け入れずに滅んでしまった。(『遺老物語など』)

前田利長の像
富山県高岡市古城の高岡古城公園に立つ前田利長の像

管理人・・・その後の文章は『三か条の内、どれか受け入れていれば滅亡しなかったのに』と続いています。

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