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【長晟との対立】1613年に浅野家の当主・長幸が亡くなり、彼に子供がいなかったため後継者問題が起こると、長政の次男・長晟を差し置いて、三男・浅野長重を推した。そのため長晟を推す同僚・浅野忠吉と対立し、お家騒動となったが長政の妻が長晟を推したので彼が後継者に指名され解決する。
【大坂の陣での活躍】大坂冬の陣に従軍し、和議が成立した後の大坂城の掘埋め立てでは浅野軍の指揮をとった。夏の陣では樫井の戦いで大野治房軍相手に奮戦している。1619年に浅野家が安芸広島に移封されることが決まると、受け取りのために先に広島に向かった。
【問題あり】長晟が広島に来ると瀬戸内海沿いの備後三原を希望したが、それに反して備後三次3万石を与えられることになってしまう。しかし三次が山奥の僻地であるということでこれを拒否し屋敷に立て篭もった。これに対して長晟は今までの問題ある振る舞いと今回の件を合わせて罪があるとし、1619年11月26日、岡本修理が命令を受け木村石見守と平尾形部を向かわせ良重を成敗させた。 管理人・・・上の広島での事件ですが、良重が悪いわけではなく、長晟が独裁的権力を手に入れるために行ったという話もあります。自分を当主につけようとしなかったことでしこりが残ったのもあったんでしょうね。 参考文献:和歌山県史・戦国人名事典 コンパクト版 UPDATE 2003年2月2日Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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