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【失敗】斉藤道厚の次男。斉藤家は伊達家譜代の家で信夫郡小手森邑御世田を領地とした。兄が1585年の小手森の戦いで戦死したので永門が跡を継いだ。伊達政宗が米沢にまだいた頃、無禄だったが、仙台に移った時に給主組頭になって微禄を与えられる。
元和年間に松平忠直に謀反の動きがあるという噂が立つと、政宗は永門を越前にやって状況を調べさせた。この時、偶然に伊達家から逃げ出した下郡山清八郎が松平家で鷹匠をやっているのを知り政宗の命でこれを捕らえて連行する。政宗は非常に喜んで望みを聞いたが、永門は「財産ではなくて自分の住んでいる所に名が残ればいいです」と答えた。これが仙台市の外記町である(現在は青葉区本町に変更されている)。その後、順調に出世し500石を与えられ1635年3月13日に死亡した。仙台の光寿寺に葬られた。 管理人・・・官器というのが何なのか分かりませんでした。 UPDATE 2003年7月7日Copyright (C) 2001 Tikugogawa. |
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