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大坂冬の陣が起こると、西美濃の武将を率いて河内枚方に、家康本陣の備えとして布陣した。和議成立後に大坂城の堀の埋め立てで奉行を務める。夏の陣にも出陣し、5月7日の道明寺の戦いで奮戦し、翌日の天王寺・岡山での最終決戦でも首級73を獲た。陣後の論功行賞で第一とされ、摂津大坂10万石に移封される。
【大坂の再興を行う】大坂に入った忠明は陣で荒廃した大坂城と城下町の復興と発展に力を注いだ。三の丸に新たな街を作り、天満・船場に人々を移したが、それでも人が足らなかったため伏見城下から移住させている。1619年に大和郡山12万石に移封された。郡山では城門を伏見城から移すなど修築を行っている。1639年に播磨姫路18万石に移封された。1644年3月25日死亡。和歌山県伊都郡高野町の高野山中性院に葬られる。
大和郡山の時代に松平家の家臣が水谷神社の神事能に出かけた際に、南都奉行所との間に、双方合わせて2千人以上が関わるという大きな争いが起きています。しかし興福寺の調停で何とか収まっています。 以上、その手腕を買われて大坂の復興を任された松平忠明さんでした。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・徳川四天王―精強家康軍団奮闘譜、ほか UPDATE 2006年5月9日Copyright (C) 2006 Tikugogawa. |
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