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【九死に一生を得る】大坂夏の陣では留守を命じられていたが、兄・忠脩と共に密かに大坂に向かい、家康に誉められている。天王寺・岡山での最終決戦で小笠原軍は名誉挽回のために奮戦し、父・兄共に豊臣軍によって戦死し、忠真も7ヶ所に傷を負う重傷となったが一命は取り留めた。
【明石の基礎を築く】1615年7月、家康から伏見城に呼ばれ『鬼孫』と賞賛され、兄の息子・長次が幼少だったので信濃松本8万石を相続する。1616年6月に越後の松平忠輝が改易されたので、松代に城受け取りに向かった。
1637年に島原の乱が起こると800の兵を率いて出陣した。1663年12月、右近将監に任じられた。1667年10月18日死亡し、福聚寺に葬られる。
管理人・・・かなりの重傷だったみたいですが、大坂の夏陣の際に忠真だけでも生き残ったのは小笠原家にとっては幸いでした。 参考文献:松本市史・三百藩藩主人名事典・日本の戦史 大坂の役 UPDATE 2002年8月20日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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