≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|
大男でその体格が織田信長の目に止まり、馬屋係に召抱えられ、その後士分になった。だが、酒癖が悪く喧嘩ばかりしていたので、クビになってしまう。その後、豊臣秀吉に仕えたがこれまた同じ理由で同僚達に嫌われ出奔してしまう。そしていつの頃からか秀吉の部下・加藤嘉明の家臣となった。
【「お前は大将の器ではない!」】直之は加藤家の家臣として朝鮮出兵で活躍し、関ヶ原の戦いの頃には千石の領主で鉄砲大将となっていた。関ヶ原の戦いで加藤嘉明軍は奮戦するが、この時、直之は大将でありながら、血がたぎってしまい兵を置いて槍を取り敵陣に突入してしまう。 【奉公構い】直之はこの後、小早川秀秋・松平忠吉に仕えるが、二人とも仕えてすぐに亡くなってしまうという不運が続く。その次に福島正則の家臣となるが、ここでは嘉明の奉公構い(秀吉が考えた方法で、元雇っていた大名が、「この者は問題があるので雇うのはやめてください」という回状を諸大名に発するもの)によって早々に立ち去っている(小早川・松平は嘉明より格上なので彼が抗議できなかった)。行き場を失った直之は、水戸の知人に身を寄せたという説と京で禅僧をしていたという二つの説がある。どちらにしてもどこかで戦乱を待っていたのは間違いないようだ。
1614年12月17日午前2時、僅か20人を従えた直之は徳川軍の一将・蜂須賀至鎮軍の陣所に夜襲をかけ見事成功した(本町橋の夜襲戦)。
【「先鋒は俺だ!」】夏の陣では、いよいよ切望していた大将の座が回ってくる。豊臣家に恩がありながら、徳川軍についた和歌山の浅野長晟を討つため大野治房軍が4月下旬出撃し、直之には3000の兵を与えられたのだ。しかし同僚の岡部則綱隊に先鋒を任され、自分の先を進んでいるのを知った彼は、一人で則綱に追いつくために馬を走らせる。
望み通り名を残せたし、一応いい人生ってことになるんでしょうか? 終わりよければすべてよしってところですね。 ※略歴の中に「遂に江南の野水に留まらず、高く飛ぶ天地一閑鴎」という文句がありますが、鴎の正しい漢字は區に鳥です。変換できませんので、やむなく違う漢字で載せました。ご了承ください。 参考文献:大坂の陣―錦城攻防史上最大の軍略・大坂の役・大日本史料(第十二編15〜20)、ほか UPDATE 2002年3月12日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|