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【秀政の一族】堀秀政の従兄弟・堀直政の次男(実は庶兄)。尾張に生まれる。豊臣秀吉に仕えるが、堀秀治(秀政の長男で堀家の当主)が越後に移封されると羽柴姓と越後坂井戸2万石を与えられ、秀治に付けられ堀家の重臣となった。関ヶ原の戦いでは越後の旧領主・上杉景勝に呼応した一揆勢を直政や兄・直次と共に鎮圧し、これを徳川家康と秀忠から賞され3万石を加増される。 【大名となる】しかし堀家は秀治の弟の親良が、直政や直次と仲が悪くなって家を出て徳川家に仕えるなど、混乱していた。そんな時に直寄と直次の家来同士の紛争が直接の原因で対立が表面化し、1609年に直寄が堀家から追い出される。しかし1610年に直寄が徳川家に直次が浄土宗の僧を殺したことを訴え、これが認められ(家康の菩提寺が浄土宗だったためと言われている)、堀家の当主・忠俊と直次は改易され、直寄は信濃飯山4万石の大名に復帰した。同じ年に駿府城の火災で消火に努め財宝を救ったので、その功で美濃国内で1万石を加増される。
管理人・・・飯山では新田開発と城下町の整備、蔵王堂では長岡築城や城下町の整備に力を注ぐなど、内政面でも活躍しています。また家康から夏の陣での活躍を買われたのか、家康が亡くなる際に「もし徳川家に反逆を企てるものがあれば、一番は藤堂高虎、二番は井伊直孝、直寄はその間で横槍を入れるべし」と言われたそうです。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版、ほか UPDATE 2005年11月6日Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
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