≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|
【橙武者】兼相の名が知られるようになったのは、1614年11月29日、徳川方の石川忠総軍と蜂須賀至鎮軍が木津川口に築かれた博労淵の砦を攻撃した博労淵の戦いであった。兼相はここの守将であったが、なんと彼は前夜から娼婦の家に泊まり込んで砦を留守にしており、大将不在のまま戦闘に突入してしまったのだ。そのため、砦は簡単に落ちてしまい、兼相が大坂へ戻ったときにはすでにすべてが終わった後であった。
5月6日、薄田兼相軍が主戦場の道明寺に到着したときには、すでに基次が伊達軍の銃弾に倒れた後だった(道明寺の戦い)。兼相は徳川軍の大軍相手に一歩も退かず何人もの敵を討ったが、多勢に無勢、水野勝成の家臣・河村重長に討ち取られた。一説にはこの時、討ち死にせずに薩摩に落ち延びた、という話しがあるが、橙武者の汚名をそそぐために戦っていた兼相がそのようなことをするとはとても思えず俗説であろう。
管理人・・・う〜ん、この人、橙武者の話しと狒々退治の話しが先に出て、本当の実力とかがさっぱり分からないです。個人戦では優れていたみたいだけど、指揮官としての能力はいかがなもんだったんでしょうか? 参考文献:真田戦記・戦国人名事典 コンパクト版・大坂の陣―錦城攻防史上最大の軍略 UPDATE 1999年11月6日Copyright (C) 1999 Tikugogawa. |
≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|